AKAKURA SPA Tourism Association.
HISTORY
“殿様の湯”赤倉温泉街の誕生
文化13年の温泉開湯後、文化15年までのわずかな文化年間において、中嶋源八ら7名の名請人(発起人と考えるとわかりやすいです)の開業とほぼ同時に、高田屋、永野屋、湯本屋、小方屋、南部屋、村越屋(現「赤倉ホテル」)、高砂屋、遠間屋(後に「あたらしや」、現「遠間旅館」)などが開業し、小さいながらも十数軒の宿が建ち並ぶ温泉街ができあがりました。そして、これらの宿は、高田藩に毎年15両もの上納金を納めていたのです。
赤倉温泉は赤倉山のふもとにあり、また、当時の温泉源泉が赤倉山の「南地獄谷」(現在は池の平温泉、妙高温泉の源泉)、そして、「北地獄谷」(現在の赤倉温泉の源泉)にあったことから、その名がつきましたが、当時は、その地名により、「一本木温泉」とも呼ばれていました。日本唯一の藩営の温泉地であり、「殿様の湯」とも言えるでしょう。
その後も、宿屋はどんどん増えていますが、徳川時代から現在まで代が続いている宿は、上記の「赤倉ホテル」「遠間旅館」の他に、「赤倉ワクイホテル」「スターホテル赤倉」「春秋の宿大丸」「旅館清水屋」「まつや旅館」「板倉旅館」などがあります。
当時の赤倉温泉は、湯治場、北国街道の宿場町として発展し、後の明治、大正期には、湯治とともに、徐々に避暑地、高級別荘地としての発展をとげてゆきます。
南地獄谷 北地獄谷
(開湯当時はこの源泉も使用) (現在の源泉)
妙高山
赤倉山 神奈山
(妙高山写真)
昭和初期までは、道路の真中に共同浴場があった