AKAKURA SPA Tourism Association.
HISTORY
スキー場としての発展
~スキー発祥の地、日本第一号の公認リフト~
新潟県は、下越(新潟県北部)、中越(同中部)、上越(同南部)に分かれます。赤倉温泉は、上越地区に位置しますが、日本スキー発祥の地は、この上越なのです。明治44年、オーストリアのレルヒ少佐が、上越地区の高田金谷山(現在の上越市)にて、軍隊、県下の教員にスキー術を指導したのが、日本でのスキーの発祥です。当時は、2本のスキーに1本の杖(現在のストック代わり)というスタイルでした。この地でのこの第一歩が、スキーというスポーツでありレジャーの先がけとなったのです。
赤倉温泉は、避暑地として発展し、冬に訪れる人は少なかったのですが、大正に入りスキーが徐々に浸透し、高松宮殿下、秩父宮殿下がスキーに訪れることが知られると、一気にスキー場としての知名度が高まります。そして、「宮様スロープ」と呼ばれるコースができたり、大学生が集うことから「大学スロープ」と呼ばれるコースができたりしました。
その後、昭和25年に、運輸省(現国土交通省)認定の日本第一号の公認リフトが建設されました。支柱は木造で、搬基は二人乗りというスタイルでした。その後このリフトは建て替えられていますが、現在も代を受け継いでいます。その後、リフトの数は増え、昭和35年に11基、昭和53年には66基、延長36,640メートルにも及びました。現在は、リフトの高速化、複数乗車タイプになったことから、リフト、ゴンドラの総数21基、総延長約17キロメートルになりました。
このようにスキー場として発展してきた赤倉温泉ですが、平成20年頃からオーストラリアを中心とした海外のお客様が増えました。赤倉温泉は海外のスキー場と比べると雪の量が圧倒的に多く、パウダースノーなのが喜ばれています。今や「世界が認めたパウダースノー」と称えられています。
(木製リフト写真)
日本の第一号公認リフト