AKAKURA SPA Tourism Association.
HOT SPRING
【茶褐色の癒しの湯】
越後三大名湯の1つに数えられる関温泉。
鉄分を多く含むため、時間が経つと見事な茶褐色になり、鉄の香りもするので、いかにも名湯ということが五感で感じ取れます。
日本の温泉の中でも非常に数の少ない含鉄泉に限りなく近い鉄分を含んでいます。泉質名は、「ナトリウム―塩化物・炭酸水素塩温泉」です。わかりやすく言うと、塩と重曹を含んだ温泉です。
塩の成分は「保湿・保温効果」があり、重曹は「クレンジング効果」があります。コンデショナー入りのシャンプーのようなもので、理想的な「美人の湯」です。
【歴史】
関温泉は、弘法大師により発見されたといわれています。
山岳信仰の拠点であったようで、明神杉、一王院、篠倉の庄(京都九条家の領土)、三途の川、不動滝など数々の名残があります。
平安後期には、木曽義仲が平家討伐の必勝祈願のために関温泉より登ったとされています。現在も義仲とその姥を祭る姥堂が残ります。
戦国の時代には妙高山を信仰した上杉謙信の隠し湯として知られています。
関温泉は、上杉謙信が妙高山を崇拝し「妙高山 雲上寺宝蔵院」(現・関山神社)に厚く信仰しました。
姥堂の中には、五輪塔があり、上杉謙信の身内の墓とも言われています。
また、宝蔵院の鼻と呼ばれる小高い丘には、謙信の山城跡があります。
江戸中期(享保12年=徳川吉宗の時代)には本格的に湯治場
として開湯されました。雲上寺宝蔵院(=現関山神社)が運営した湯治場です。
この時代の「関ノ山湯」(=関温泉)「諸国温泉番付」にもたびたび登場し、
越後三代名湯として知られるようになりました。
明治4年には、温泉地の移転がありました。度重なる水害のためです。関山神社付近に引湯し、明治12年に新しい温泉地が誕生しました。
しかし、温度が低いということで明治30年に景勝地である芝原唐沢に移転。
ここもまた、陸軍の駐屯地となり現在の位置に移転しました。
明治21年の「諸国温泉番付」にも登場しています。
昭和47年に環境庁(現環境省)環境庁告示第11号より国民保養温泉地に指定されました。
平成16年には、法政大学の大河内正一教授(現名誉教授)の指導により全国初の「ORP科学的証明による源泉100%かけ流し」宣言を行いました。
平成18年の元札幌国際大学教授松田忠徳氏の「全国平成温泉番付」にも選ばれました。
【神の湯】
昔は「留め湯」というならわしがありました。毎年5月から6月にかけての14日間、
一般の人々の入浴が禁止されていたのです。
それは、この時期になると関山権現をはじめ、各山の神仏が湯につかりにくるためでした。
この神仏たちに随行して虫や獣たちも集まり、温泉場はもちろん辺り一面が虫獣で一杯になり、
実に恐ろしい光景だったといわれています。
ですからこの留め湯の期間中、人間はまったく外出せず、ただひたすら神仏のお帰りを待っていました。
【源泉100%かけ流し宣言の名湯】
関温泉はすべての宿が完全なかけ流しをしていることから、「源泉100%かけ流し宣言」をしています。
温泉は自然の恵みのままで使用すると「体の錆落とし効果」がある「還元系」になっているとされています。
茶褐色の湯として定評のある関温泉ではありますが、意外と色がついていないことで驚かれることがあります。それは酸化があまり進んでいない還元系だからです。フレッシュな温泉の証でもあります。
掃除直後の温泉ではフレッシュな湯を楽しんでいただき、時間が経って鮮やかな茶褐色になったら色を楽しんでお入りください。
【妙高高原温泉郷を代表する絶景「不動滝」】
関温泉から赤倉温泉に抜ける道の途中に「不動滝」があります。橋の下にあるので、滝を上から眺めることもできます。
滝の横にはお不動さんがあります。目を守ってくれるお不動さんとして親しまれており、この不動滝も目に良いとされています。確かに滝の近くでしぶきを浴びると、目が潤うことが実感されます。
この不動滝は絶景スポットで、大田切渓谷に架かる橋の下の不動滝、その先に見える妙高山と贅沢なまでの景色が広がります。紅葉の季節は、ただただ目を奪われるばかりです。
【「四季の歌」】
「春を愛する人は~♪」一度は、耳にしたことのある名曲「四季の歌」。
作詞・作詞家の荒木とよひさ氏は、学生時代に関温泉スキー場で青春の汗を流していました。荒木とよひさ氏が、スキーで骨折し入院した時に誕生した曲です。関温泉の四季の情景をモチーフし、退院時に、看護師に対してのお礼で作成した曲です。その後、口コミで広まりレコード化したそうです。